02-02/暗夜
突然、もうあまり呼ばれることもない自身の名で呼びかけられジャージャ・ウッドは一度、聞こえないふりをした。他人の空似で、勘違いしたと思ってくれればそれでいい……だが呼びかけてきた声の主は二度・三度と声をかけてきて、あまつさえ手も握ってきた。仕方なくその正体を確認して、「お前か」と合点がいった。
その正体は、自身がまだ失敗をしていない15年以上前の時の依頼主の子どもで、仕事の合間に遊び相手をしたり建築についての話を聞かせたりしていた面影がある。確か名前は――アッシャムスだ。あの時の子供がここまで大きくなっていて、しかもあの時の自分を知っている。手を振りほどくと自身の爪で怪我をさせてしまうかもしれないがこれ以上恥を重ねたくない。
「なぜ……なぜ話しかけてきた?ただの過去の面影に懐かしくなったからか?あの頃の昔話がしたいだけなら他をあたってくれ」
「……昔と違って、寂しそうな顔をしていたから」
ぐ、と言葉が詰まる。なぜそうも真っすぐに人を見て、なぜこうも自身が惨めに感じるのか。「お前が知ってる昔の俺とは違う。……寂しいだなんてなにを勘違いしてるのかしらないが、冗談はやめて手を離せ」と発し睨みつけても、一歩も引かずに優しくアッシャムスは微笑む。
「嫌だよ。力ならジャージャさんが強いハズだから離そうと思えば離せるでしょう」
「やめろ」
「その羽を使ってもできるのに、しないのはあの時と同じで優しいね」
「やめろと言っている」
「わかった。ごめんなさい。じゃあ昔の話はやめるから、まずは今の話をしようよ」
やめろの要望を1つ受け入れるから、こちらの要望も1つ、という事だろうか。俺がそれを聞く理由はないと断ろうとするとそれより先にこの男は、はじめましてをやり直すように自己紹介を始めた。
02-01/報われない
過去はもう振り返らない。
生まれ育った地を故郷とも思わない。
ジャージャ・ウッドは、若い頃はたくさん家を見ていつか自分が設計して、誰かが安心できる家を作るために勉強をした。親に頼んで旅の資金をもらってほかの国々の建築を見てきた。家を継ぐのが自分の運命で、家族のような従業員たちを養うのが雇用主の使命だったから。
ーーだったからだ。
実際にはその運命と使命は儚くも消え失せていく。
25歳の頃。ウッド家は才能ある者を歓迎することが好きで、新たに雇われにきた男は才能もあり人に好感を与える雰囲気の持ち主だった。後継ぎとして人の教育も出来るのが必要だと両親はジャージャをその新参者の指導者に指定した。
今思い返すとその男の指導を始めて1年経った頃から何かが狂い始めていた。最初は忘れるはずのない資材の漏れや、従業員間での情報の伝達ミスだった。従業員や両親から大丈夫かと心配をされチェック体制を見直しても必ずどこかでミスが起きる。何ヶ月もすれば心配や違和感は、非難と不信感に変わっていった。でもまだなんとかなると思っていた。
29歳の頃。ある日建築中の建物の足場が崩れ、ジャージャと2名の従業員の合計3人が下敷きになった。咄嗟に羽で従業員を覆ったが自身を守るための動作は間に合わずに左目に枝が刺さり、左腕はとくに血が止まるように下敷きになった。救出にも時間がかかったのも悪かったのだろう。
あとはもう堕ちるのは簡単で、両の目で見る事ができず距離感や木の歪みはわからなくなった。左腕はミリ単位の仕事が必要な時もあるのに麻痺でろくに動かせなくなった。仕事に支障がでることを危惧した親は最終的に自分を跡継ぎにはせず、従業員の中から後継者を選定した。その後継者は自分が指導した新参者だった男だ。その男は誰もが納得するほどしっかり信頼を得ていた。従業員たちの面倒を見てくれて、ジャージャは従業員の1人になって、この話は終わり──……で終わればよかったのに。
さらにそこからすぐ、親が病で死んだ。元気だったはずなのにみるみる元気が無くなっていったが、30歳になっても自分の事で精一杯だったジャージャには救えなかった。そして後継者になった男はそれから方針転換をはじめ、目の上の瘤のような扱いをされはじめたジャージャは森を跡にすることにした。もちろん引き留めてくれる者……あの時助けた2名だけがいたが、引き留めてくれようとした感謝だけを述べた。そして森を去る日、後継者になった男はわざわざ2人きりになりたいと呼び出したジャージャに「 」と歪んだ笑顔で感謝を述べた。それは聞きたくなかった言葉だったが、もう長い時間をかけて怒る気力も追求する気も削がれていたジャージャには、あれが事故じゃない事がわかってももうどうでもよかった。
それから、ジャージャは地底の国に居を構えた。若かったころにかかわった人が少なからずいた事もある。さらに、建物のつくりが土や岩、金属を使ったものまでさまざまな様式で好ましいからだ。ただ仕事は家作りにはかかわらず、体力や力がいる仕事だけを行った。
過去をもう振り返りたくない。
あの地を故郷と思いたくないその一心で。
01-02/未来が来ないでほしい
男は静かに夢想する。
もう遠くない未来。君は残り短く、俺はもう十年、二十年と生きていくかもしれない未来のこと。婚姻を結ぶ時に「自分の十年をあげるからアナタの十年が欲しい」と言った君を抱きしめ「君の十年を貰い受ける。十年…いやそれ以上君の事を思い続けよう」と約束をした俺はしっかりそれを守れているのか、守り続けられるのか。
2人で、はたまた子どもを授かってからは3人、そして4人で、ワサビを育て、季節毎の食事は楽しみ、たまの遠出では友人や君の家族に会って過ぎた遠い日々の事を言葉にして酒を酌み交わし、色々な思い出を作ってきた。
だがどうだろう、子ども2人はまだ幼いし、きっとこれから不安にさせてしまう事があるかもしれない。暗い話は得意じゃないが少し弱音を吐くかもしれない自分が見え隠れする。
もう少し。あともう少し。思い出が増えるほど楽しさと嬉しさと同時に不安になる。どうしたら良いかは決まっている。誰にも悟られないように、旅生活の頃に培った表向きの笑顔を浮かべながら。一日一日と近づいているその日が来ないで欲しいと思いながら。不安な気持ちは家族にバレないように。特に君にはバレないように。
さて今日は何をしようか!と君と子供達に朗らかに声をあげよう。
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※子どもの人数が2人かまだ不確定?
01-01/再開。ジャネーの法則。(とある文章の一部のみ掲載)
さて次は誰に顔見せに行くかと考える前に小腹が空いた。酒場で食事でもしながら次のことは考えようと足を運ぶと、クラゲを頭に冠る旧友の姿が視界に入り、遠慮なく声を掛けた。
「よう、かなり久しぶりじゃないか?」
「そうだったかな?ついこの間のような気がするけど」
楽しげな声で返答され、「それ、時間の心理的長さは年齢に反比例するってやつだろ」と返すも今でも子供扱いしてくる長命種の時間感覚に少し困惑しつつ酒と食事を注文した。